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2022.10.19

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【Vol.80】決断の時

2022.10.19

連載:Renoca Adventure

朝、空に轟く雷鳴と雨音で目が覚めた。前日までの晴天から一転して、乾燥した大地に空からの恵みが降り注いだ。雨脚は時間共に強さを増し、地面は水であふれていく。 身を寄せるテントの中には、体調不良で横たわるチームメンバー。日本から遠く離れた地球の裏側、南米パラグアイまでやってきたチームイーストウインドは、アドベンチャーレースの世界選手権大会真っ最中だった。 レースは3日目の朝を迎えていた。テントの中には重たい空気が流れている。 理由は、スタートしてわずか2時間で、メンバーの米元が体調不良を訴え、序盤からチームが窮地に追い込まれてしまった。回復に努めながら丸2日前進を続けたが、とうとう憔悴しきってしまい、自立歩行が困難な状況まで陥ってしまったのだ。

Expedition Guaraniレース最終日

過去にも同じような状況に陥ったメンバーがいて、レース中にしっかりと睡眠と栄養補給をしたことで回復した経験があったため、今回も同じような対策を施した。 しかし、12時間以上の睡眠を確保しても、状況は変わらず。むしろ症状は悪化しているようにうかがえた。
「これ以上は…」
症状、天候、テント内の環境、食糧など、米元以外のメンバーで状況を整理し、予測される展開を話し合った。 最初の話し合いでは「天候が回復する可能性を信じ、あと数時間テント内で回復に努める」と決断したが、1時間の経過を待たずに覆した。実は沈黙の中、もう一度頭の中で状況を整理していた。 その結果、雷雨、浸水してきた狭いテント、食糧事情、救援までの時間などから、一刻も早く改善しなくては、命の危険があると考えに至った。

国際レース全14戦の経験の中で、チームメンバーの負傷(体調不良)により、2度、主催者に封入された衛星携帯電話を開封し、主催者へ救援を要請した経験がある。 一度目は中米コスタリカで開催された世界選手権大会にて。二度目は2016年、5度目の挑戦となったパタゴニアンエクスペディションレースでのことだ。 一度目はレース最終盤。ゴールまで残りわずか、チーム初のトップ10入り目前だった。アドベンチャーレーサー人生初のリタイヤを経験。救助されたメンバー以外の3人でゴールラインに立ったあのときの心境は今でも忘れられない。 「二度と経験したくない」と後悔ともいえない感情が全身を駆け巡った。そのとき以来となる経験を今まさに繰り返そうとしていた。しかし、判断を間違えば、チームそして、これからも共に戦う米元に大打撃を与えてしまうことは確実。

「レスキュー呼びます。」

黄色のテープでぐるぐる巻きになった携帯電話を開封した。

主催者にチームメンバーのリタイヤを告げた。雷雨により道路状況が悪く、すぐに救助へ向かうことができないと伝えられ、とにかく地元民に助けてもらいなさいと念押しされた。近くにいたメディアチームの助力もあり、民家の一室で暖を取ることができ、雷雨と浸水するテントから脱出することができた。身動きがとれなくなってから20時間が経過していた。 メンバーの体調は徐々にコミュニケーションがとれるまで回復。あとはレスキューを待つだけとなった。ようやく落ち着き、チームとしての今後の行動について話し合った。 相談するまでもなかった。3人でレースを再開し、ゴールを目指すという決断に誰ひとり迷いはなかったのだ。主催者に3人でのレースを続行する意思を伝え、停滞から30時間、再びチームイーストウインドの戦いが動き出した。 再開から5日後、ゴールラインを歩く4人の姿があった。米元は3人をゴールライン手前で迎え、米元のビブス(ゼッケン)を再開後も着続けた小倉が笑顔で返した。

ドロドロになったビブス、それは「共に戦った証」だった。

田中陽希さん

著者:田中 陽希YOKI TANAKA

2007年チーム・イーストウインドのトレーニング生となり、2008年4月にトレーニング生を卒業し、正式メンバーとなる。地道なトレーニングで実力をつけ、プロアドベンチャーレーサーとなる。2014~2015年、陸上と海上の両方を人力のみで繋ぎ合わせた『日本百名山ひと筆書き』と『日本2百名山ひと筆書き』に挑戦。現在『日本3百名山ひと筆書き』に挑戦中。