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2020.12.28

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リノカの中身① ステータスシンボルへの反逆 / 買い替えサイクルからの脱却

2020.12.28

Essay

リノカの中の人のつぶやき クルマを通じて人と移動の関係を考える

これからときどき、わたしたちリノカチームがふだん、どんなことを考えて、どんな想いをもってリノカをやっているのか知ってもらうために、『リノカの中身』と題したコラムを連載したいと思います。クルマの中身って、よく考えたら、機械の部品だけじゃないんですよね。

リノカ的思考の背景

リノカ的思考の背景

リノカのコアにある考えとして、「ステータスシンボルへの反逆/買い替えサイクルからの脱却」というものがあります。
その考えに至ったおおもとの背景は、ちょっと大げさに感じられるかもしれませんが、産業革命時代に遡ります。場所はアメリカ、はじまりはヘンリー・フォード率いるフォード社です。
1907年に発売されたT型フォードは、社会の景色を一変させました。iphoneがそうしたように。ついこのあいだまで馬車しか走っていなかった街の景色が、車しか走っていない景色に様変わりしたのです。
1920年代、「モデルTは追い越せない。追い越しても、追い越しても、前を走っているから」なんていうジョークが流行るほど、このT型フォードは売れに売れました。

こうして社会そのものを変えたこのT型フォードでしたが、やがてひとつの壁にぶつかることになります。
あまりに完成された自動車であったがために、車が人々に行き渡ると、みんなずっとこのT型に乗り続けるがために、販売台数が落ちていったのです。 つまり、買い替える必要がない。
そこに着目したのがGM社でした。彼らはフォードを差し置いて一躍、自動車業界のスターダムに踊り出ます。なにをやったのか? シャーシーは同じでもスタイリングが違う車両をつくり出したのです。さらには、高級なラインナップをつくり出し、その上、毎年新モデルを発表するようになります。
つまり、年度ごとにあたらしいボディデザインを発表することで、意図的に前年度のものを陳腐化させていったというわけです。
こうしてGM社は、高級路線のグレード軸と、年度ごとのモデル軸をつくることで、人々の「買い替えサイクル」を早めていきました。
でも、これって今わたしたちが生きる世界においても同じですよね。100年前から変わっていない自動車産業の構造そのものとも言えるかもしれません。
もちろん、毎年あたらしいデザインにわくわくするのもいいと思います。
ただその一方で、本当に好きなモデルがあっても、なんか古臭いとか思われてしまうそういう雰囲気にうんざりしている人もいなくはないですよね。
車って色々な見られ方をします。かっこいい、オラオラ、かわいい、お金持ち、貧乏、古い、新しい、おしゃれ、賢そう、なんかそういう上位グレードへの羨望やクラス意識の呪縛から逃走線を引いてみるということ。真に自由な意思で好きな車に乗りたい、そんな考えがリノカの根本にはあるのでした。

素直になろう。こどもの目で乗り物を考える。

素直になろう。こどもの目で乗り物を考える。

こういう風に人と車の関係を考える前提として、こどもの反応は大切だなと思います。
こどもは、グレード感とかモデルの新旧を、大人みたいに気にしません。
高級車と呼ばれている車よりもバスが好きだったりしますよね。
そういう乗り物に対する素直な感情を考えると、大人っていうのはなんかどうでもいいことを気にしちゃってるなあと思っちゃったりします。
もっと素直に車を楽しみたい。そんな風に思うわけです。
そういう意味で言うと、リノカがベースカーとして扱ってきたランドクルーザーとハイエースというのはまさに、こどもが楽しくなっちゃう車なんです。モデルの新しい古いに関係なく、子どもはこのふたつのクルマに乗り込むと目を輝かせます。
そして、大人も同じように目を輝かせる方法があるんじゃないか? そんな風に考えたわけです。

自動車文明の圏外へ不時着しよう。

メーカーが主導する買い替えサイクルの螺旋とステータス感というヒエラルキーの檻から離れることで、これまでの自動車消費の構造とはまったく違うところに不時着してみること。
車はモノじゃないんだと、ある人が言っていました。まあ、モノに変わりはないんだけど、言ってる意味はよくわかります。つまり、わたしたちにとっての車とは、モノではなく「感情」と言った方が正確な気がします。射幸心を煽るための道具ではない。
車というモノを所有することに、豊かさを見出すのではなくて、車という体験を通して起きる感情や記憶の堆積に、豊かさを見出したい。
そんな思いをかかげてつくったのがリノカなのでした。
長々とありがとうございました。今回はここまでです。

自動車文明の圏外へ不時着しよう。